御船町について

御船恐竜博物館御船恐竜博物館

御船の地は、古くから上益城地方の政治・経済・文化の中心地。県下屈指の醸造の町であり有数の商都として知られてきた。また、要害枢要の地であり南北朝の昔から、近くは1877年(明治10年)の西南戦争にいたるまで、幾たびか血なまぐさい戦いが繰り返され、これら古戦場や古い文化・史跡・名勝の類も多い。日本で初めて肉食恐竜の化石「御船竜」が発見されたため、恐竜の里として知られる。

歴史

御船町の名は、景行天皇の九州平定ご巡幸の際、その「御船(おんふね)」が着岸したことによって名づけられたと伝えられる。
南北朝のころは、阿蘇氏の一族、御船氏が支配。
戦国時代は御船行房が支配。行房は阿蘇氏の智将、甲斐宗運に討たれ、甲斐氏が支配。
1587年(天正15年)、豊臣秀吉によって肥後国は2分され、小西行長が支配。
関ヶ原の戦いで行長が滅ぼされると、加藤清正が支配。さらに1633年、加藤忠広の改易により細川忠利が支配。以後、細川氏が明治まで支配。

引用:Wikipedia